<桓武平氏>高望王系

H102:平 良望  平 高望 ― 平 良望 ― 平 維幹 H201:平 維幹

リンク H202・H205・H211・H218
平 維幹

 下総を本拠とする平将門が反乱を起こした承平天慶の乱の後、平貞盛は、その報償として常陸に多数の所領を得た。貞盛は一族から多数の養子を迎えており、この内、弟である繁盛の子・維幹を常陸に赴任させた。維幹は同国筑波郡多気に因んで多気権大夫と号し、多気を拠点にして勢力を拡大させた。 『今昔物語集』によれば、長和5年(1016年)以前から、維幹は平忠常と利権をめぐって抗争しており、忠常は惟基(維幹)のことを「惟基ハ先祖ノ敵也」と述べている。そして、平忠常の乱の際には、三千騎を率いて源頼信に従っている。
 なお、京都においては、平維敏や平維叙らとともに藤原実資に臣従していたという。
 『宇治拾遺物語』には、訴訟のために上洛していた維幹が、高階成順の長女・大姫御前を盗み出し常陸国に連れ帰った逸話が記されている。のちに妹の康資王母が夫の常陸守・藤原基房と共に常陸国に降った際に、大姫御前は亡くなっていたが、彼女の娘2人と面会することができ、康資王母はその振舞いの上品さに、娘2人は康資王母が亡き母に似ていることに泣いたという。