F401:藤原冬嗣 | 藤原鎌足 ― 藤原房前 ― 藤原内麻呂 ― 藤原冬嗣 ― 藤原良門 | F431:藤原良門 |
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藤原良門 | 藤原利基 |
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正六位上・大舎人に叙任するが、利基,高藤の2子を儲けた直後に没したとされ、兄弟の中では唯一五位に昇ることがなかった。そのため、事績はほとんど伝わっていない。 |
貞観2年(860年)正六位上から従五位下に昇叙される)。貞観4年(862年)内匠頭を経て、貞観8年(866年)左衛門佐に任ぜられ以降、右近衛少将,左馬頭,右近衛中将と武官を務めるとともに、備前権介,相模守と地方官も兼ねた。またこの間、貞観11年(869年)従五位上、貞観19年(877年)正五位下、元慶3年(879年)従四位下に昇進している。 |
藤原兼茂 | 藤原兼輔 |
寛平9年(897年)兼茂自身が外戚にあたる醍醐天皇の即位に伴い六位蔵人になると、翌寛平10年(898年)左衛門少尉に任ぜられる。昌泰2年(899年)従五位下に叙爵して、引き続き昇殿を許されるが、昌泰の変が発生した翌年の延喜2年(902年)従五位上・播磨介に叙任され地方官に転じる。 |
醍醐天皇の外戚であったことから、その春宮時代より仕え、寛平9年(897年)に醍醐天皇が即位すると昇殿を許される。醍醐天皇に非蔵人として仕える傍ら、讃岐権掾,右衛門少尉を経て、延喜2年(902年)従五位下に叙せられる。 |
藤原清正 | |
藤原兼輔の次男。官位は従五位上・紀伊守。三十六歌仙の一人。 |