伊達政宗霊屋(瑞鳳殿)
だてまさむね たまや(ずいほうでん)(Mausoleum of Masamune Date[Zuiho-den])
【K-MG001】探訪日:2013/10/6
宮城県仙台市青葉区霊屋下23.-2
【MAP】
〔駐車場所〕
仙台藩祖である伊達政宗の霊屋。広瀬川の蛇行部を挟んで仙台城の本丸跡と向かい合う経ヶ峯に位置する。瑞鳳殿の周辺には、伊達忠宗の霊屋である感仙殿,伊達綱宗の霊屋である善応殿,妙雲界廟,御子様御廟といった伊達氏に関連する霊廟があり、一帯が「経ヶ峯伊達家墓所」として仙台市指定史跡となっている。また、瑞鳳寺が隣接する。
政宗は、生前ホトトギスの初音を聞き遺骸を経ヶ峯に葬るよう遺言し、1636(寛永13)年に没した。政宗の後を継いだ第2代藩主の忠宗は政宗の遺言に従い、翌1637(寛永14)年10月、政宗の御霊屋を経ヶ峯の東部に建立して瑞鳳殿と命名した。瑞鳳殿は、本殿,拝殿,唐門,御供所,涅槃門からなり、桃山文化の華麗さを誇っていた。また瑞鳳殿は仙台城本丸を向くように西向きで造られた。瑞鳳殿の建築には、総奉行として奥山大学常吉、大工として米野内蔵助近吉,山内四郎兵衛貞次、装飾担当として絵師の狩野定良,中村清六常長らが関わった。
1945(昭和20)年7月10日、アメリカ軍による仙台空襲によって瑞鳳殿はじめ感仙殿,善応殿はすべて焼失した。1974(昭和49)年に再建の起工式が行われ、併せて瑞鳳殿址の発掘調査が行われて政宗の遺骨や副葬品などが出土した。1979(昭和54)年に瑞鳳殿の本殿,拝殿,涅槃門,御供所が竣工し、1984(昭和59)年には感仙殿,善応殿も再建され、翌年に再建落成式が行われた。