伊達綱宗霊屋(善応殿)
だてつなむね たまや(ぜんのうでん)(Mausoleum of Tsunamune Date[Zenno-den])
【K-MG003】探訪日:2013/10/6
宮城県仙台市青葉区霊屋下23
【MAP】
〔駐車場所〕
1711(正徳元)年6月4日、72歳で江戸で死去した3代藩主伊達綱宗の霊屋。1658(万治元)年、父・忠宗の死により家督を継いだが、酒色に溺れて藩政を顧みない暗愚な藩主とされている。さらに家臣団の対立などの様々な要因が重なって、藩主として不適格とされ幕命により藩主2年めにして、不作法の儀により21歳で隠居させられた。
綱宗自身はその後、品川の大井屋敷に隠居し、作刀,絵画,和歌,書などの芸術に傾倒していったといわれる。優れた作品も残されている。
50年に亘る余生を品川で過ごした綱宗の遺体は仙台に運ばれ、政宗,忠宗が眠る経ヶ峯に葬られ、死後5年後の1716(享保元)年に善応殿が完成した。
1945(昭和20)年の仙台空襲で、瑞鳳殿,感仙殿と共に焼失したが、1985(昭和60)年に再建されている。なお、再建のための学術調査の結果、綱宗は身長155cmのA型で死因は歯肉癌であることが明らかになった。