伊達忠宗霊屋(感仙殿)
だてただむね たまや(かんせんでん)(Mausoleum of Tadamune Date[Kansen-den])
【K-MG002】探訪日:2013/10/6
宮城県仙台市青葉区霊屋下23
【MAP】
〔駐車場所〕
1658(万治元)年7月12日、60歳で死去した伊達忠宗の霊屋。伊達政宗の第2子として1600(慶長4)年12月8日に大坂城下で生まれ、1636(寛永13)年、政宗の死去により38歳で2代藩主となった。
仙台藩の地位と基盤固めに務めて大いに功績を残したため「守成の名君」と評された。藩政の執行体制を変更し藩内の統制を強化するとともに、財政面では領内の余剰米を藩が買い上げ江戸に運んで売りさばく買米制を実施している。また、政庁として使用するため仙台城に二の丸を造営したほか、寺社建築も幅広く行い、1637(寛永14)年には政宗を祀るため瑞鳳殿,瑞鳳寺を建立した。
没後、3代藩主伊達綱宗の命により原田甲斐宗輔らを総奉行として霊屋感仙殿の造営が行われ、約6年をかけて1664(寛文4)年に完成をみた。瑞鳳殿同様、1945(昭和20)年の戦災で焼失し礎石等を残すのみとなったが、1985(昭和60)年に再建されている。