反正天皇百舌鳥耳原北陵(田出井山古墳)
はんぜいてんのう もずのみみはらのきたのみささぎ(たでいやまこふん)
(Mozu-Mimihara-Kita Mausoleum of Emperor Hanzei [Tadeiyama-Kofun Tumulus])
【K-OS015】探訪日:2015/2.25
大阪府堺市堺区北三国ヶ丘町1-2-35
【MAP】
〔駐車場所〕
百舌鳥古墳群の北端に位置する前方部を南に向けた前方後円墳で、墳丘長148m,後円部直径76m,高さ13m,前方部幅110m,高さ14.8mと百舌鳥古墳群の中では7番目の大きさである。墳丘は三段に築かれ、かつては二重濠があったことが確認されている。出土品として、瑪瑙製勾玉,須恵器台がある。また、原位置を保っていないが円筒埴輪,形象埴輪(蓋型埴輪,家形埴輪,人物埴輪の手の部分)も出土している。出土した埴輪の特徴から5世紀中頃に造築されたと推定される。周辺には陪塚と推定される鈴山古墳,天王古墳がある。
なお、この田出井山古墳は百舌鳥耳原三陵のなかでも他の2つ(大山古墳,上石津ミサンザイ古墳)と比べてかなり規模が小さいことから、反正天皇陵であることを疑問視する意見も多く、宮内庁もより大きいニサンザイ古墳を反正天皇の陵墓参考地としている。
【史跡規模】 |
【指 定】世界遺産構成資産(2019年7月6日指定) |
関連時代 | 伝承の時代(古墳時代:中期) |
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関連年号 | 5世紀中頃 |
関連人物 | 系図 | 関連人物 | 系図 | 関連人物 | 系図 |
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反正天皇 | K202 |
古墳時代の出来事については「古墳時代」を参照。
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