履中天皇百舌鳥耳原南陵(上石津ミサンザイ古墳)
りちゅうてんのう もずのみみはらのみなみのみささぎ(かみいしづミサンザイこふん)
(Mozu-Mimihara-South Mausoleum of Emperor Richu [Kamiishidu-Misanzai-Kofun Tumulus])
【K-OS014】探訪日:2015/2.25
大阪府堺市西区石津ヶ丘
【MAP】
〔駐車場所〕
宮内庁により履中天皇陵に比定されているが、被葬者は確定されていない。百舌鳥古墳群に属する古墳で仁徳天皇陵(大仙陵古墳)に次ぐ巨大前方後円墳。墳丘の全長約365m,後円部径205m,高さ約27.6m,前方部幅約235m,高さ約25.3mで日本で3番目に大きい。墳丘は3段築成で西側のくびれ部には造出しがあり、主体部の構造や副葬品などはわかっていないが葺石と埴輪がある。一重の盾形周濠と堤がめぐっているが、1994(平成6)年に外側に幅10m程の2重目の周濠が見つかっている。また、10基ほどの陪塚を従えていたことがわかっており、そのなかの七観山古墳は出土資料などから、父とされる仁徳天皇陵によりも築造年数が古いとされており5世紀前半頃に造られたことがわかっている。
なお、ミサンザイは「御陵(みささぎ)」が転じたものと考えられている(これに似た「二サンザイ」も同様)。
【史跡規模】 |
【指 定】世界遺産構成資産(2019年7月6日指定) |
関連時代 | 伝承の時代(古墳時代:中期) |
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関連年号 | 5世紀前半 |
関連人物 | 系図 | 関連人物 | 系図 | 関連人物 | 系図 |
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履中天皇 | K202 | 仁徳天皇 | K202 |
古墳時代の出来事については「古墳時代」を参照。
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