能見城跡

のみじょうあと (Nomi Castle Ruins)

【C-AC281】探訪日:2020/3/12

 愛知県岡崎市元能見町33

【MAP】

〔駐車場所〕

   築城時期は定かではないが、松平宗家3代の信光が築城し、信光の子光親が松平城山城から移り能見松平氏の祖となった。1536(天文5)年、光親没後、2代重親は松平宗家長親,信忠に仕え、3代重吉は松平元康の初陣となる寺部城攻め,三河一向一揆制圧,二俣城攻めにて戦功を挙げた。4代重利は桶狭間の戦いで没し、5代重勝は、1590(天正18)年の家康関東移封に伴い関東へ移り、越後国三条藩,下総国関宿藩,遠江国横須賀藩の藩主を務めた後、1620(元和6)年に没した。
 現在は民家の前に城址碑が建っているのみであるが、かつては見松山観音寺北辺りが城郭の中心部とされ、80m四方の城域であったとされる。なお、観音寺には、能見松平光親,重親,重吉の墓、初代光親の二男・松平親友の碑がある。

【史跡規模】

【指 定】
【国 宝】

【国重文】

関連時代 戦国時代 安土桃山時代
関連年号 1536年 1590年
関連人物 系図 関連人物 系図 関連人物 系図
松平信光 MT01 松平光親 MT12 松平重親 MT12
松平重吉 MT12 松平重利 MT12 松平重勝 MT13

 

 

 

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