丸亀城跡
まるがめじょうあと (Marugame Castle Ruins)
【C-KG002】探訪日:2019/7/21
香川県丸亀市一番丁
【MAP】
〔駐車場所〕
築城年代は定かではないが、室町時代初期に管領細川氏重臣の奈良元安が、宇多津聖通寺城の支城として亀山に築いたのがはじまりとされる。その後、1597(慶長2)年に讃岐一国の領主となった生駒親正が高松城の支城として築城に着手し、6年の歳月をかけ、1602(慶長7)年にほぼ現在の城郭が完成した。1615(元和元)年の一国一城令により破却の危機にさらされるが、時の藩主・生駒正俊の機転で破却を免れた。
1640(寛永17)年、生駒騒動の仕置きで高松城主生駒高俊が出羽国矢島へ転封となると、翌年、肥後国富岡より山崎家治が丸亀藩5万石で入封。しかし、三代で嗣子なく改易となった。山崎氏に代わって播磨国龍野より京極高知が六万石で入封、この京極氏の時代に丸亀城が完成した。以後、5万1千石余りの大名として明治に至る。
丸亀城は標高66.5mの亀山を中心として築かれた平山城で、北に大手、南を搦手として山頂西側に本丸、東に二の丸、それを取り巻くように三ノ丸、さらに山下曲輪を配し内堀を巡らせている。大手の北側は石垣が中心であるが、南の搦手は土塁が中心で門跡の部分のみ石垣を用いている。三ノ丸,二ノ丸,本丸は総石垣で、三ノ丸の北西隅は屏風折れの高石垣になっている。天守が現存する他、大手一ノ門,二ノ門,番所,長屋,藩主玄関先御門,土塀が現存している。
【史跡規模】 |
【指 定】国指定史跡(1953年3月31日指定) |
関連時代 | 室町時代 | 安土桃山時代 | 江戸時代:前期 |
関連年号 | 1597年・1602年 | 1641年 |
関連人物 | 系図 | 関連人物 | 系図 | 関連人物 | 系図 |
奈良元安 | **** | 生駒親正 | **** | 生駒正俊 | **** |
生駒高俊 | **** | 山崎家治 | **** | 京極高和 | G746 |
丸亀城は現存天守をもつ12城の一つである。
<現存天守12城(★は国宝天守)>
弘前城 | ★松本城 | 丸岡城 | ★犬山城 |
★彦根城 | ★姫路城 | ★松江城 | 備中松山城 |
丸亀城 | 松山城 | 宇和島城 | 高知城 |
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▲城址碑
▲大手口
▲大手二の門
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▲大手枡形の石垣
▲切り込み接ぎ
▲大手一の門
▲大手一の門
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▲案内図
▲見返り坂(上から見返り)
▲見返り坂から見た石垣
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▲三の丸跡へ
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▲三の丸跡
▲三の丸跡(前方は月見櫓跡)
▲月見櫓跡からの眺望(讃岐富士[飯野山]が見える)
▲月見櫓跡からの眺望
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▲二の丸跡
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▲二の丸井戸
▲「二の丸井戸」説明板
▲井戸内部
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▲本丸跡
▲本丸跡
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▲本末跡から望む瀬戸大橋
▲「丸亀城天守」説明板
▲天守
▲天守
▲天守
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▲見返り坂から見た石垣
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▲番所長屋への入口
▲藩主玄関先御門
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