彦根城跡
ひこねじょうあと (Hikone Castle Ruins)
【C-SG012】探訪日:1989/5/15・2015/10/16
滋賀県彦根市金亀町1-1
【MAP】
〔駐車場所〕
別名を金亀城という。1600(慶長5)年、関ヶ原の戦いの軍功により井伊直政は18万石で近江国北東部に封ぜられ佐和山城に入城したが、佐和山城は中世的な古い縄張りや石田三成の居城であったことを嫌い、琵琶湖岸に居城を移すことを計画していた。しかし、関ヶ原の戦傷が癒えずに1602(慶長7)年に死去。直政の遺臣である家老・木俣守勝が徳川家康と相談して直政の遺志を継ぎ、1603(慶長8)年に琵琶湖に面した彦根山(別名;金亀山)に彦根城の築城を開始した。公儀御奉行3名が付けられた天下普請で1606(慶長11)年に2期工事が完了し、天守完成と同じ頃に井伊直継が入城した。1622(元和8)年にはすべての工事が完了し彦根城が完成した。築城にあたっては大津城,佐和山城はじめ近江国の諸城を移転や破却し、彦根城の建設物に利用され、結果として彦根藩には彦根城しか残らず、一国一城令を守る手本となった。
城主は最後の井伊直憲まで17代、一度の転封もなく石高も譜代大名中最高であった。また多くの大老を輩出している。幕末の大老・井伊直弼は35歳で藩主となるまでこの城下町で過ごしている。その時に住んだ屋敷は「埋木舎」として現存する。
明治時代初期の廃城令に伴う破却を免れ、天守が現存する。天守と附櫓及び多聞櫓の2棟が国宝に指定されるほか、安土桃山時代から江戸時代の櫓,門など5棟が現存し、国の重要文化財に指定されている。当初、彦根城は陸軍省管轄下の施設となり維持されたが、老朽化のため破却予定のところ、明治天皇の彦根行幸の際に参議の大隈重信が天皇に働きかけた結果、天守や櫓の保存が決定したという。
【史跡規模】 |
【指 定】特別史跡 |
関連時代 | 江戸時代:前期 |
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関連年号 | 1603年・1606年・1622年 |
関連人物 | 系図 | 関連人物 | 系図 | 関連人物 | 系図 |
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井伊直政 | F442 | 木俣守勝 | **** | 井伊直継 | F442 |
井伊直憲 | F441 | 井伊直弼 | F441 | 大隈重信 | **** |
彦根城は現存天守をもつ12城の一つである(天守は国宝)。
<現存天守12城(★は国宝天守)>
弘前城 | ★松本城 | 丸岡城 | ★犬山城 |
★彦根城 | ★姫路城 | ★松江城 | 備中松山城 |
丸亀城 | 松山城 | 宇和島城 | 高知城 |
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▲二の丸佐和口多聞櫓
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▲廊下橋
▲廊下橋
▲廊下橋
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▲天秤櫓
▲天秤櫓
▲天秤櫓
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▲天秤櫓
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▲中央が佐和山城跡
▲太鼓門櫓
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▲本丸と天守
▲天守
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▲天守からの眺望
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▲右の山が佐和山城跡
▲琵琶湖を望む
▲西の丸
▲西の丸三重櫓へ
▲西の丸三重櫓
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▲出曲輪
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▲玄宮園
▲玄宮園
▲玄宮園
▲玄宮園
▲玄宮園から見た天守
▲内堀
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