増善寺
ぞうぜんじ (Zozen-ji Temple)
【T-SZ029】探訪日:2025/3.23
静岡県静岡市葵区慈悲尾302 <📲:054-278-6333>
【MAP】
〔駐車場所〕参詣者用駐車場がある。
681(天武天皇10)年に法相宗の始祖・道昭法師が開いたとも、723(養老7)年に行基が千手観音菩薩像を安置したのが始まりともいう。当初は、「慈悲寺」と呼ばれる真言宗の寺であった。観音菩薩像は安倍七観音として、現在も観音堂に祀られている。
1500(明応9)年(1492年とも)、曹洞宗に関心の深かった駿河国主の今川氏親は辰応性寅禅師に帰依し、性寅を開山として七堂伽藍を整え再興し、曹洞宗に改めて寺号も「増善寺」とし、氏親の菩提寺とした。1526(大永6)年6月23日、今川氏親が亡くなると、この寺にて他に例のないほどの大葬儀が営まれた。寺には、苔むした氏親の墓とともに等身大の木像が開山堂に安置されている。
また、当寺は徳川家康との関係も深く、竹千代(家康)の今川義元の人質時代に増善寺の等膳和尚とは岡崎時代から顔見知りということもあり、人質の身をよく理解してくれた和尚を募って、よくこの寺を訪れたという。ある日、竹千代が和尚に「1度だけでもいいから岡崎に父(松平広忠)の墓参に行きたい」と告げたとき、和尚は竹千代を密かに持舟の港から岡崎に連れて行き、無事帰途に着いて墓参を実現させたという。後年、等膳和尚はこの縁によって可睡斎の住職となり、駿河・遠江領内の曹洞宗を統括する僧録の位を得ている。
寺内には今川氏親墓所のほか、増善寺に大きく貢献した松平勝政の墓,駿府町奉行を務めた柘植正俊の墓などがあり、また、寺の裏山には南北朝時代の安倍城跡がある。