柘植正俊墓所〔増善寺〕
つげまさとし ぼしょ〔ぞうぜんじ〕(Grave of Tsuge Masatoshi [Zozen-ji Temple])
【K-SZ058】探訪日:2025/3.23
静岡県静岡市葵区慈悲尾302
【MAP】
〔駐車場所〕増善寺の参詣者用駐車場がある。
1611(慶長16)年6月2日、駿府にて病没し増善寺に葬られた旗本・柘植正俊の墓所である。正俊は織田信治の子(織田信秀の孫)であるが、『寛永諸家系図伝』では織田与四郎行正の子とされる。織田三蔵、のちに柘植平右衛門と称した。
正俊は、はじめ三河国刈谷の水野信元に仕え、織田信長に仕えた際に津田姓を名乗るようにいわれるが、母方の柘植姓を名乗った。豊臣秀吉に仕えた後、1600(慶長5)年の会津征伐ならびに関ヶ原の戦いでは徳川家康に従軍している。それまで400石を知行していたが、1601(慶長6)年に摂津国川辺郡他で加増され計900石を知行し、1604(慶長9)年には切腹した息子・正勝の所領500石も加えられて計1400石となった。
駿府では旗本として町奉行を務め、子孫は幕末まで存続している。また、駿府町奉行与力を務めた旗本・力石家の墓所が松平勝政墓所の前方に建つ。