松平勝政・勝忠墓所〔増善寺〕

まつだいらかつまさ・かつただ ぼしょ〔ぞうぜんじ〕(Grave of Matsudaira Katsumasa and Katsutada [Zozen-ji Temple])

【K-SZ057】探訪日:2025/3.23

【K-SZ057】松平勝政・勝忠墓所〔増善寺〕 静岡県静岡市葵区慈悲尾302

【MAP】

〔駐車場所〕増善寺の参詣者用駐車場がある。

【K-SZ057】松平勝政・勝忠墓所〔増善寺〕

   1635(寛永12)年6月10日、駿府において63歳で死去した駿府城番の松平豊前守勝政とその孫・勝忠の墓所である。増善寺に葬られた。
 勝政は、水野忠分の5男として誕生したが、於大の方に請われて駿河国久能城主・松平康俊の娘婿となり、康俊の遺跡を継承した。婚儀は、関ヶ原の戦い後の1601(慶長6)年であるが、このとき家康より茶道具「山道の真壷」(一名・松嶋)を与えられている。1603(慶長8)年3月、従五位下豊前守に叙任された。
 『寛政重修諸家譜』によれば、1633(寛永10)年2月9日に駿府城番に任命され、与力10騎・同心50人を預けられた。その際には3000石を加増されて8000石となり、駿河国有渡郡,安倍郡が知行地として与えられた。1635(寛永12)年、駿府にて死去。増善寺に葬られたが、勝政は増善寺の寺領を認める朱印状が幕府から発給されるよう寺社奉行らと折衝したといい、増善寺では勝政を「恩人」と位置付けて顕彰している。
 勝政の跡は勝義が継ぐが、その子・勝忠も豊前守に叙任され、駿府城代を務めた。1680(延宝8)年5月24日、駿府において58歳で死去し、祖父の墓所がある増善寺に葬られた。

【史跡規模】

【指 定】

【国 宝】 

【国重文】

関連時代 江戸時代:前期
関連年号 1635年・1680年
関連人物 系図 関連人物 系図 関連人物 系図
松平勝政 MT42 松平勝忠 MT42

 

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右手前は力石家の墓所 松平豊前守勝政(左)と孫の勝忠の墓