菰野藩主土方家墓所〔見性寺〕

こものはんしゅ ひじかたけ ぼしょ〔けんしょうじ〕
(Graves of Hijikata Family, Lord of Komono Domain [in Kensho-ji Temple])

【T-ME008】探訪日:2024/10.22・12.3

【K-ME008】菰野藩主土方家墓所 三重県三重郡菰野町菰野158

【MAP】

〔駐車場所〕見性寺北側に駐車場がある。

【K-ME008】菰野藩主土方家墓所

   見性寺の裏手にある菰野藩2代・土方雄高以降の歴代藩主土方家の墓所である。また、東側山腹には藩祖・土方雄氏の室である八重姫の墓がある。
 1644(寛永21)年、2代藩主・雄高(菰野城主)は藩祖・雄氏の菩提を弔うために見性寺を創建した。1651(慶安4)年、雄高の死去により見性寺山内の東側山腹に墓地が創設され、1679(延宝7)年には雄氏の妻・玉雄院(八重)の墓が建立された。しかし、1695(元禄8)年5月および1705(宝永2)年6月に豪雨により山腹が崩壊し墓碑が転倒したため、谷を隔てた西側の山腹を開き、雄高,3代藩主・雄豊,世外・豊高の3基の墓碑を移した。この西墓地には2代から11代藩主・土方雄嘉までの歴代藩主と、その兄弟姉妹の墓碑26基が並んでいる。東墓地には玉雄院と4代藩主・豊義の室の巍光院の2基が並ぶ。
 なお、藩祖である雄氏の墓碑は京都北山の功運院にある。また、12代藩主・雄永は神葬のため墓地はない。
 土方家の墓地は東京湯島の麟祥院と高野山奥の院にも存在する。
 また、東側山腹の墓所からさらに上った丘陵頂部が力尾城跡となっている。

【史跡規模】

【指 定】菰野町指定史跡(1974年11月26日指定)

【国 宝】

【国重文】

関連時代 江戸時代:前期~後期 昭和時代:前期
関連年号 1651年~1858年 1931年
関連人物 系図 関連人物 系図 関連人物 系図
土方雄高 G169 土方雄豊 G169 土方豊義 G169
土方雄房 G169 土方雄端 G169 土方雄年 G169
土方雄貞 G169 土方義苗 G169 土方雄興 G169
土方雄嘉 G169 土方雄志 G169

 

【K-ME008】菰野藩主土方家墓所

 

 

【K-ME008】菰野藩主土方家墓所

【K-ME008】菰野藩主土方家墓所 ※本サイトの写真は転用可です(画像をピックすると拡大、コメント表示されます)

第2世藩主・土方雄高の墓 第3世藩主・土方雄豊の墓 第4世藩主・土方豊義の墓 第5世藩主・土方雄房の墓 第6世藩主・土方雄端の墓 第7世藩主・土方雄年の墓 第8世藩主・土方雄貞の墓 第9世藩主・土方雄苗の墓 第10世藩主・土方雄興の墓 第11世藩主・土方雄嘉と世外・土方雄志の墓 世外・土方豊高の墓