八重姫墓所〔見性寺〕

やえひめ ぼしょ〔けんしょうじ〕
(Grave of Yae-hime [in Kensho-ji Temple])

【T-ME014】探訪日:2024/10.22・12.3

【K-ME014】八重姫墓所 三重県三重郡菰野町菰野

【MAP】

〔駐車場所〕見性寺北側に駐車場がある。

【K-ME014】八重姫墓所

   見性寺にある織田信長の孫で藩祖・土方雄氏の室である八重姫(玉雄院)の墓である。前には4代藩主・土方豊義の室の艶(巍光院)の墓が建つ。菰野藩歴代藩主土方家墓所の東側山腹にある。
 八重姫(婚姻後は奈於)は、雄氏が側室の子・土方氏久を跡継ぎにしようとしたため、実子の雄高を跡目(2代藩主)にさせた。その雄高が早逝すると、周囲の反対を押し切って氏久の側室の子・雄豊を3代藩主とし、藩草創期の礎を築いた陰の功労者となった。1679(延宝7)年、92歳の天寿を全うした。その後の菰野藩は270年間、改易や転封もなく菰野の地を治め、明治を迎えている。
 墓所からさらに上った丘陵頂部が力尾城跡となっている。

【史跡規模】

【指 定】菰野町指定史跡(1974年11月26日指定)

【国 宝】

【国重文】

関連時代 江戸時代:前期
関連年号 1679年
関連人物 系図 関連人物 系図 関連人物 系図
織田信雄女(八重) OD05 土方雄氏 G169 永井直敬女(艶) H305

 

【K-ME014】八重姫墓所

 

 

【K-ME014】八重姫墓所

【K-ME014】八重姫墓所 ※本サイトの写真は転用可です(画像をピックすると拡大、コメント表示されます)

東側山腹へ 八重姫(玉雄院)の墓 4代藩主・土方豊義の室の艶(巍光院)の墓 山門前にある説明板