石舞台古墳

いしぶたいこふん(Ishibutai-Kofun Tumulus)

【K-NR001】探訪日:1992/10.31・2017/8.27

【K-NR001】石舞台古墳 奈良県高市郡明日香村島庄254

【MAP】

〔駐車場所〕

【K-NR001】石舞台古墳

   明日香村島庄に所在する国内最大級の方墳である。もとは土を盛りあげた墳丘で覆われていたが、その土が失われ、巨大な石を用いた横穴式石室が露出している。天井石の上面が広く平らで、まるで舞台のように見えることから古くから「石舞台」、あるいは「石蓋」と呼ばれていた。
 墳丘は一辺約55mの方形であるが、周囲に南北約83m,東西81mの規模で幅約7.0m,高さ約1.2mの外提をめぐらし、墳丘周囲の空堀は幅5.9~8.4mを測る。外提と基壇の約30度の傾斜には花崗岩が貼石されていた。
 埋葬施設は両袖式の横穴式石室で西南方向に開口し、羨道長さ約11m,幅2.5m、玄室は長さ約7.7m,幅約3.5m,高さ約4.7mの規模を有する。30数個の岩が積まれ、その総重量は2,300トンに達すると推定されている。また、石室内部には排水施設がある。
 石室はほとんどの埋葬品が盗掘に遭った後であり、石棺の欠片(凝灰岩片)等が発見されるに留まった。なお、羨道部と外堤からは土師器と須恵器や銅の金具などが見つかっている。古墳の西南に展示されている刳抜式家形石棺は、当時の石棺の資料をもとに復元されたものである。
 被葬者は確定的ではないが、7世紀初頭の権力者であった蘇我馬子とする説が有力である。大化の改新で滅ぼされた蘇我入鹿の祖父、蘇我蝦夷の父である。なお、異説では、馬子の父である蘇我稲目の墓とする。
 盛土の上部が剥がされているため、その墳形は、2段積の方墳,上円下方墳、あるいは、下方八角墳とも推測されているが、蘇我氏の墳丘は菖蒲池古墳小山田古墳のように方墳が特徴といえる。

【史跡規模】

【指 定】国特別史跡(1952年3月29日指定)

【国 宝】

【国重文】

関連時代 古墳時代:後期
関連年号 7世紀初頭
関連人物 系図 関連人物 系図 関連人物 系図
蘇我馬子 SG02 蘇我稲目 SG02

 

【K-NR001】石舞台古墳
   

 

【K-NR001】石舞台古墳

 

石舞台古墳(左:Googleマップ航空写真,右:Wikipediaより転載)

蘇我氏の古墳〔都塚古墳・石舞台古墳・小山田古墳菖蒲池古墳〕(Googleマップ航空写真に加筆)  

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