菖蒲池古墳

しょうぶいけこふん(Shobuike-Kofun Tumulus)

【K-NR168】探訪日:2022/9.11

【K-NR168】菖蒲池古墳 奈良県橿原市42

【MAP】

〔駐車場所〕 明日香村立屋内ゲートボール場もしくは近辺に駐車可能。

【K-NR168】菖蒲池古墳

   甘樫丘の南、小山田古墳の西に位置する低丘陵南面に築造された方墳である。墓域は南北約82m,東西約67m(西側外堤を非想定)または約90m(西側外堤を想定)と、当時としては破格的な規模を有する。墳丘は2段築成でともにほぼ正方形、下段は一辺約30m,高さ3.2m、上段は一辺約18m,高さ4.3mを測る。墳丘北側,東側,西側には掘割が巡らされるほか、墳丘表面では赤灰色粘質土による化粧が、古墳前庭,掘割底面の一部そして上段墳丘裾平坦面では礫敷が認められる。
 埋葬施設は南方に開口する両袖式の横穴式石室であるが、玄室の下半分や羨道部が埋もれているため全容は明らかでない。石室全長は約20mと推定されている。玄室内部には刳抜式家形石棺2基が据えられるが、これら2基は非常に精巧な造りで、全国的にも特異な石棺とされる。
 出土土器等から古墳時代終末期、飛鳥時代の7世紀中頃の築造と推定され、築造から間もない7世紀末頃にはすでに、墳丘一部の破壊が認められる。被葬者は明らかでないが、皇族の墓とする説のほか、645(大化元)年に没した蘇我氏の墓とする説がある。蘇我氏説では、蘇我氏系寺院の配置とも考え合わせて、一帯は蘇我氏の墓域であったことが挙げられ、さらに近年、付近で巨大方墳の小山田古墳が発見されたことから、両古墳を蘇我蝦夷,入鹿の墓(『日本書紀』の大陵・小陵)に比定する見方が有力視されている。

【史跡規模】

【指 定】国指定史跡(1927年4月8日指定/2015年10月7日範囲追加)

【国 宝】

【国重文】

関連時代 飛鳥時代
関連年号 7世紀中頃(645年)
関連人物 系図 関連人物 系図 関連人物 系図
蘇我入鹿 SG02 蘇我蝦夷 SG02

 

【K-NR168】菖蒲池古墳
  

 

【K-NR168】菖蒲池古墳

 

蘇我氏の古墳〔都塚古墳・石舞台古墳・小山田古墳・菖蒲池古墳〕(Googleマップ航空写真・現地説明板より)

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