小山田古墳

こやまだこふん(Koyamada-Kofun Tumulus)

【K-NR167】探訪日:2022/9.11

【K-NR167】小山田古墳 奈良県高市郡明日香村川原410

【MAP】

〔駐車場所〕

   甘樫丘の南、菖蒲池古墳のすぐ東に近年発見された埋没古墳で、古墳域には現在、奈良県立明日香養護学校が立地する。これまでに数次の発掘調査が実施されている。墳形は方形で、一辺は東西で72m(北辺)・80m超(南辺)、南北で推定70mを測り、当時の方墳としては最大級である。
 埋葬施設は横穴式石室と見られ、南方に開口した石室の羨道跡が検出されている。羨道幅は2.6mを測り石舞台古墳と同程度、羨道長さも8.7m以上と石舞台古墳(11.7m)級と推測される。羨道入り口(羨門)は判明したが玄室部分は未判明であり、石室の全体規模は今後の調査結果を待つことになる。
 出土土器から古墳時代終末期、飛鳥時代中頃の7世紀中頃(特に640年代)の築造と推定される。下層では6世紀後半の集落跡が認められており、築造の際にはその集落を潰したと見られるほか、築造後の7世紀後半にはすでに掘割の埋没が認められる。被葬者としては、舒明天皇の初葬地(のちに押坂陵に改葬)とする説のほか、蘇我蝦夷の墓とする説が挙げられている。特に、後者は『日本書紀』にある、蘇我蝦夷は642(皇極天皇元)年に今来に双墓を造り、蝦夷の墓を「大陵」、子の入鹿の墓を「小陵」と称したとの記事に基づく。「小陵」とは、西隣の菖蒲池古墳と見なされる。

【史跡規模】

【指 定】

【国 宝】

【国重文】

関連時代 飛鳥時代
関連年号 7世紀中頃(642年・645年)
年関連人物 系図 関連人物 系図 関連人物 系図
蘇我蝦夷 SG02 舒明天皇 K305

 

【K-NR167】小山田古墳
  

 

【K-NR167】小山田古墳

 

蘇我氏の古墳〔都塚古墳・石舞台古墳・小山田古墳・菖蒲池古墳〕(Googleマップ航空写真・現地説明板より)

小山田古墳調査状況(小山田遺跡各次調査 現地説明会資料より抜粋)

【K-NR167】小山田古墳 ※本サイトの写真は転用可です(画像をピックすると拡大、コメント表示されます)