天王山砦跡

てんのうさんとりであと(Tennosan Fort Ruins)

【C-SZ119】探訪日:2024/4.15

【C-SZ119】天王山砦跡 静岡県掛川市下西郷84

【MAP】

〔駐車場所〕龍尾神社参詣者用駐車場を利用する。

   龍尾山砦ともいう。1568(永禄11)年、武田信玄に駿府を追われた今川氏真が入城した掛川城攻略のため、徳川家康が本陣を置いた砦である。龍尾神社が建つ境内である。
 今川義元の跡を継いだ氏真は駿遠をまとまり切れず、武田信玄と徳川家康の草刈り場となっていく(黒幕は上洛をもくろむ織田信長とされる)。信玄に駿府を追われた氏真が朝比奈泰朝の守る掛川城に入った。家康は遠江国衆を懐柔し、久野城高天神城をはじめ諸城を帰順させ、掛川城の周辺には青田山砦仁藤山砦金丸山砦など付城を配して包囲網を築いた。天王山砦もその一つであり、浜松の妙恩寺本陣から移った家康が布陣した。しかし、今川方の激しい反撃や一揆の勃発などで結局、両者は和睦交渉により、氏真の掛川城開城で終結した(兵糧が尽きたともいわれる)。
 天王山砦は掛川城から北500mにあり、東西180m,南北200mが城域と推定される。北側の現・花庭園(梅園)の辺りでは戦いが行われたとされる。龍尾神社境内が主郭で、南に張り出した尾根には堀切がみられ、先端に物見台的な高さ2mほどの土壇がある。土壇は古墳跡かも知れない。さらに東西麓の水路は堀であった可能性がある。

【史跡規模】

【指 定】

【国 宝】 

【国重文】

関連時代 戦国時代
関連年号 1568年
関連人物 系図 関連人物 系図 関連人物 系図
徳川家康 TG01 今川氏真 G361 朝比奈泰朝 F434

 

【C-SZ119】天王山砦跡
 

 

【C-SZ119】天王山砦跡

 

天王山砦縄張図(『静岡県の城跡 中世城郭縄張図集成(西部・遠江国版)』に加筆)

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主郭(龍尾神社境内) 西側から南に向かう(ここを入る) 左手に神社の一部が見える 前方に堀切 堀切 堀切 堀切 堀切 堀切 南の土壇 南の土壇 南の土壇 南の土壇 南の土壇 土壇から南を見る 西側下を見る 東側下を見る 主郭北東から古戦場(花庭園)へ向かう 主郭北東の土塁跡 主郭北下 古戦場となったとされる窪地(花庭園) 古戦場となったとされる窪地(花庭園) 古戦場となったとされる窪地(花庭園) 西側の堀跡(水路) 西側の堀跡(水路) 南側 東側の堀跡(水路) 東側の堀跡(水路) 西からの全景