仁藤山砦跡
にとうやまとりであと(Nitoyama Fort Ruins)
【C-SZ118】探訪日:2024/4.15
静岡県掛川市仁藤71
【MAP】
〔駐車場所〕仁藤神明宮もしくは不動院の駐車場を利用できる。
1569(永禄12)年、武田信玄に駿府を追われた今川氏真が入城した掛川城攻略のため、徳川家康が掛川城包囲網の一つとして築いた砦である。
1568(永禄11)年12月22日から掛川城攻めが始まったが、長期戦に備え、家康は翌年正月に入り所々に付城(砦)を築いた。仁藤山砦には奥三河の山家三人衆(奥平信昌,菅沼正貞ら)が守備したとされる。掛川城をめぐる攻防戦は結局、両者の和睦締結により、氏真の掛川城開城で終結した(兵糧が尽きたともいわれる)。
砦は掛川古城から500mと至近距離にあり、鎮座する神明宮の低丘陵上(標高45m,比高16m)に位置する。城域は東西90m,南北180m以上であった。主郭は神明宮の建つ最高部で東西50m,南北80mを測る。その北側は2郭とされ、主郭に対し約1.5mほど低くなっている。井戸跡が残る。また、掛川城のある西側には数段の腰曲輪を設けている。さらに、地形からは北にある不動院の敷地も曲輪(3郭)であった可能性がある。神明宮と不動院の間は堀切状鞍部とみることができる。