墨俣宿本陣・脇本陣跡
すのまたじゅくほんじん・わきほんじんあと(Sunomata Honjin and Waki-Honjin Ruins)
【R-GF018】探訪日:2024/1.14
岐阜県大垣市墨俣町墨俣
【MAP】
〔駐車場所〕本陣跡前の観光駐車場が利用できる(無料)。
墨俣宿は東海道・宮宿(熱田宿)から中山道・垂井宿までを結んだ脇街道・美濃路の7番目の宿場で、揖斐川と長良川に挟まれ、墨俣の渡しという渡し船があった重要な地点であった。
本陣は江戸時代以降に定められた大名や旗本,幕府役人,勅使,宮門跡ら身分が高い者が宿泊する建物で、宿役人の問屋や村役人の名主などの居宅が指定されることが多かった。また、その近くには本陣に次ぐ格式の宿として脇本陣があった。
墨俣宿本陣には、上記のほかにも朝鮮通信使,琉球王使,御茶壺道中が休憩や宿泊をしたという。本陣の遺構は残されていない。
墨俣宿脇本陣は本陣の西に位置し、一時の加納家が勤めたときを除けば、美濃三人衆の北方城主・安藤守就の子孫が代々、本陣役を勤めた。現在の脇本陣跡の建物は、1891(明治24)年10月28日の濃尾地震で崩壊した直後に、ほぼ同じ構造で再建されたものである。また、すぐ南の本正寺には脇本陣から移築された門が残っている。
なお、本陣跡の北には木下藤吉郎(豊臣秀吉)ゆかりの墨俣城跡、南には墨俣川古戦場や土岐康貞墓所,斉藤利藤墓所などの史跡がある。
【史跡規模】 |
【指 定】大垣市指定史跡(2010年10月1日指定) 【国 宝】 【国重文】 |
関連時代 | 江戸時代:前期 |
関連年号 |
関連人物 | 系図 | 関連人物 | 系図 | 関連人物 | 系図 |
安藤守就 | F969 |