斎藤利藤墓所〔明台寺〕
さいとうとしふじ ぼしょ〔みょうだいじ〕(Grave of Toshifuji Saito [in Myodai-ji Temple])
【K-GF021】探訪日:2024/2.8
岐阜県大垣市墨俣町墨俣226
【MAP】
〔駐車場所〕本陣跡前の観光駐車場が利用できる(無料)。
1498(明応7)年、2年前の船田合戦で敗北し失意の内に世を去った美濃守護代・斎藤利藤の墓である。養子の斎藤利為によって長良川西の明台寺に建てられた。
父・斎藤利永の死後、守護代職を継承するが、実権は叔父の斎藤妙椿に握られ、守護代として力を揮うことはできなかった。妙椿の死後、異母弟で妙椿の養子となった斎藤利国(妙純)と争い、1480(文明12)年8月には遂に合戦(美濃文明の乱)となり、利藤は墨俣城を拠点にして戦うが、同年11月に敗れて近江の六角氏の元に亡命、さらに京都へ赴き幕府の庇護を受けた。
1487(長享元)年5月、守護・土岐成頼と妙純との和議が成立し、美濃守護代職に返り咲くことができたが、1495(明応4)年に成頼の後継争いで再び近隣国を巻き込んだ合戦となる(船田合戦)。利藤は反妙純方の土岐元頼,石丸利光に与するが、2人は戦死し、利藤は1496(明応5)年6月に隠居させられ、復権できないまま2年後に亡くなった。同寺には土岐悪五郎康貞の墓もある。
【史跡規模】 |
【指 定】大垣市指定史跡(1974年4月1日指定) 【国 宝】 【国重文】 |
関連時代 | 戦国時代 |
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関連年号 | 1498年 |
関連人物 | 系図 | 関連人物 | 系図 | 関連人物 | 系図 |
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斎藤利藤 | F862 | 斎藤利為 | F862 |