江戸城跡(北の丸)
えどじょうあと(きたのまる)(Edo Castle Ruins [Kitanomaru])
【C-KT001b】探訪日:2023/9.16
東京都千代田区北の丸公園1-1
【MAP】
〔駐車場所〕
1457(長禄元)年、太田道灌らが江戸城を築城した際には、関東の守護神でもあった築土神社(旧:田安明神)の旧地であり、1590(天正18)年に徳川家康が入府し大規模改修後は「北の丸」と称して、代官屋敷や大奥に仕えた女性の隠遁所となった。千姫や春日局、徳川家康の側室で水戸頼房の准母・英勝院の屋敷などがあったが、1657(明暦3)年1月の明暦の大火以後は火除け地になっていた。8代将軍・徳川吉宗が就任してからは、1731(享保16)年、北の丸西側に徳川氏の御三卿であった田安徳川家が、東側には1759(宝暦9)年に清水徳川家が上屋敷を構えた。北に田安門、東に清水門があり(2門とも国重文指定)、敷地内には御蔵地や植溜御用地,馬場などもあった。
田安門は北面する高麗門と西側に矩折りに位置する櫓門からなる桝形門である。創建年代は明らかではないが、高麗門の扉の釣金具に残された刻銘から、1636(寛永13)年に建てられたものと考えられている。
清水門は東面する高麗門と南側に矩折りに建つ櫓門からなる桝形門である。創建年代は明らかではないが、1607(慶長12)年に北の丸普請が行われていたことから、この時期に建てられたものと考えられている。1624(寛永元)年に安芸広島藩主・浅野長晟によって改築された。
明治維新後は政府によって近衛師団の兵営地が設置されたが、太平洋戦争後は東京特別都市計画によって皇居周辺の緑地として整備されることが決定され、旧近衛連隊等の多くの建物が撤去された。1969(昭和44)年、昭和天皇の還暦を記念して開園、一般公開された。
【史跡規模】 |
【指 定】国特別史跡:江戸城跡(1960年5月20日指定)の一部 【国 宝】 【国重文】旧江戸城田安門・清水門 |
関連時代 | 室町時代 | 安土桃山時代 | 江戸時代:前期 | 江戸時代:中期 |
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関連年号 | 1457年 | 1590年 | 1607年・1636年 | 1739年・1759年 |
関連人物 | 系図 | 関連人物 | 系図 | 関連人物 | 系図 |
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太田資長(道灌) | G117 | 徳川家康 | TG01 | 浅野長晟 | G148 |
徳川宗武 | TG08 | 徳川重好 | TG10 |
私事イベント終了後に急遽訪れたため、15時半から17時半までの2時間でどれだけ回れるか、汗かきながらの駆け足探訪であった。そのため、撮影できなかった個所は、種々サイトから一部写真を借用させていただいた(転載の旨を表記)。機会があれば、再チャレンジしていく。
城跡が広大なため、本サイトでの以下の4区画に区分して表示している
記号 |
城跡 |
現状 |
C-TK001a |
江戸城跡(本丸・二の丸・三の丸) | 皇居東御苑 |
C-TK001b |
江戸城跡(北の丸) | 北の丸公園 |
C-TK001c | 江戸城跡(西の丸) | 皇居宮殿・宮内庁 |
C-TK001d |
江戸城跡(西の丸下) | 皇居外苑 |