北野城跡
きたのじょうあと(Kitano Castle Ruins)
【C-AC665】探訪日:2023/9.9
愛知県岡崎市北野町中屋敷
【MAP】
〔駐車場所〕
築城年は定かではないが、城主に上野上村城主でもあった松平内膳正信定の名がある。信定は松平宗家6代・信忠の弟であったが、しだいに宗家に対して不穏の動きを示すことになる。特に、1530(享禄3)年の宇利城攻撃の際、劣勢となった次兄の福釜松平左京亮親盛に助勢を送らず見殺しにしたことを宗家7代・松平清康に衆目の前で面責されて以来、宗家をより深く恨んだともいう。
1535(天文4)年に清康が尾張の守山において陣没(守山崩れ)した後の松平宗家の混乱に乗じて、8代の松平広忠を追放し、その居城・岡崎城を占領した。翌年には宗家8代・広忠の近臣たちの画策で信定は情勢の不利を悟って広忠に帰順する。しかし、その後も不遜な態度をとり続け、1538(天文7)年に死去した。
城は北野廃寺跡の南の丘陵端辺りとされる。現在は大部分が住宅となっており、一部に空堀跡と思われる個所(竹藪)が残されているが、はっきりした遺構はわからない。