糟目犬頭神社

かすめけんとうじんじゃ(Kasume Kento Shrine)

【S-AC055】探訪日:2023/9.7

【S-AC055】糟目犬頭神社 愛知県岡崎市宮地町馬場31

【MAP】

〔駐車場所〕糟目犬頭神社の駐車場(参道)を利用できる。

   創建時期は定かではないが、社伝によれば、701(大宝元)年に彦火火出見尊を祀り建立されたとされる。851(仁寿元)年の『文徳実録』や927(延喜5)年の『延喜式』にも碧海郡6座の式内社の一つと糟目神社が記載されている。もとは上和田村の糟目森崎に鎮座していたが、たびたびの矢作川の洪水により1190(建久元)年に犬頭神社に遷座合併した。
 犬頭神社の名称は、1346(貞和2)年、上和田城主の宇都宮(武茂)泰藤が当社で鷹狩りの際に誤って白犬の首を切ってしまい、首を塚に埋めて弔ったとされることに由来する。しかし、真実は、泰藤が京都で獄門になった主君・新田義貞の首を奪い、当地に埋めて、世間に知れぬよう白犬の首の伝説を触れ流したものとされる。泰藤は塚を守らせる者に「犬塚」の姓を与え、自らは義貞の菩提を弔い仏門に入り妙国寺で一生を終えた。また、1350(観応元)年には、足利尊氏が熊野権現領100貫文を寄進したと伝えられている。
 1602(慶長7)年、岡崎城主・本多康重は本神社を保護して本殿を再建し、1605(慶長10)年には越前産の笏谷石と呼ばれる凝灰岩を使用した石鳥居(岡崎市指定文化財)を奉納した。その後も江戸幕府,岡崎藩から寄進,保護を受け、1871(明治4)年になって、額田県令により糟目犬頭神社と改称。翌年9月18日郷社に指定され、1889(明治22)年に本殿が再建、1901(明治34)年に拝殿が再建された。
 石鳥居のほか、石造唐猫,石造狛犬(ともに江戸時代初期の作)も岡崎市指定文化財となっている。また、拝殿の東側に本多作左衛門重次誕生地の碑が建つ。

【史跡規模】

【指 定】

【国 宝】

【国重文】

関連時代 飛鳥時代 鎌倉時代 南北朝時代 安土桃山時代 江戸時代:前期 明治時代
関連年号 701年 1190年 1346年・1350年 1602年 1602年・1605年 1871年
関連人物 系図 関連人物 系図 関連人物 系図
宇都宮(武茂)泰藤 F647 新田義貞 G325 足利尊氏 G332
本多康重 F536

 

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新田義貞の首塚とされる 本多作左衛門重次誕生地の碑