羽根西城跡
はねにしじょうあと(Hane-nishi Castle Ruins)
【C-AC641】探訪日:2023/8.18
愛知県岡崎市羽根西2丁目3-12
【MAP】
〔駐車場所〕
羽根西ノ郷城ともいう。羽根の地にあった大久保一族の二つの城のうちのひとつである。東300ⅿほどのところに羽根東城跡がある。大久保氏はもともと上和田城を本拠としていたが、天文年間(1532~55年)に尾張の織田信秀が安祥城を攻め落とすと、織田方に内通し松平広忠に逆心した佐々木城主の松平三右衛門忠倫が上和田城を支配するようになり、大久保忠員,忠世父子は羽根へと退避した。築城年は定かではないが、大久保氏は東西二城を築き、織田の最前線で戦い続けるなど松平宗家に忠誠を尽くした。
羽根西城には、1524(大永4)年に上和田城の宇津忠茂(大久保忠員の父)が建立した稲荷神社があり、羽根に移り住んだ大久保忠員,忠世らはこれを尊崇し、のちに1575(天正3)年の長篠設楽ヶ原の戦いで戦功をたてたことを徳として、1585(天正13)年に忠世が社殿を造営した。城跡は遺構も残されておらず明確ではないが、微高地となったこの稲荷神社の辺りとされる。
また、稲荷神社の前面、南側の稲荷坂は三河一向一揆のときに戦場となった場所である。
【史跡規模】 |
【指 定】 【国 宝】 【国重文】 |
関連時代 | 戦国時代 |
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関連年号 | 1524年・1532~55年・1575年 |
関連人物 | 系図 | 関連人物 | 系図 | 関連人物 | 系図 |
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宇津忠茂 | F650 | 大久保忠員 | F651 | 大久保忠世 | F652 |
織田信秀 | OD03 | 松平忠倫 | MT** |