麻生古城跡
あそうこじょうあと(Aso Old Castle Ruins)
【C-AC599】探訪日:2023/5.2
愛知県岡崎市鍛埜町
【MAP】
〔駐車場所〕橋を渡ると道路が狭いため、県道沿いに路駐するのをお勧めする。
築城年は定かではないが、観応年間(1350~51年)頃とされ、城主には麻生内蔵助の名がある。1415(応永22)年、松平親氏の中山七名(秦梨・田口・岩戸・麻生・大林・名之内・柳田)買得で落とされた。その後、天野弥九郎景孝がこの地を領したが、1487(長享元)年に松平親忠が攻め落とし、親忠の9男・松平乗清(大給松平乗元の子とも)が滝脇へ移住し、滝脇松平家,麻生松平家の祖となった。1590(天正18)年に廃城となっている。
なお、3代・清房の弟の現之丞は阿弥陀寺の住職となり、4代・正忠の墓は阿弥陀寺にある(松平正忠墓所)。また、5代・正勝は、1615(元和元)年の大坂夏の陣で討死し、近くの麻生城跡の前にある松平助十郎御先祖墓所に葬られている。
城跡は県道35号線から橋を渡り突き当りまで進んだところの民家の右側の丘の上で、平坦地の入口に五輪塔が並び、その背後に2段になった曲輪が広がる。現在は一部畑地として使われている。