手白香皇女衾田陵(西殿塚古墳)
たしらかのひめみこ はかまだのみささぎ(にしとのづかこふん)
(Hakamada Mausoleum of Princess Tashiraka [Nishitonozuka-Kofun Tumulus])
【K-NR020】探訪日:1995/3.28・2014/11.28・2022/9.11
奈良県天理市萱生町183
【MAP】
〔駐車場所〕
実際の被葬者は明らかでないが、宮内庁により第26代・継体天皇皇后の手白香皇女の陵に治定されている。遺跡名は西殿塚古墳で大和古墳群(中山支群)を構成する巨大前方後円墳の1つである。
手白香皇女は6世紀前半の人物で、仁賢天皇を父とし、弟に武烈天皇がいた。武烈天皇は子をなさず若くして崩御したため、越前国から応神天皇の5世孫にあたる傍系の男大迹王を天皇に迎えたが、その正統性を立てるために手白香皇女は皇后となる。
西殿塚古墳の規模は墳丘長約230m、前方部は幅約130m,高さ約12m(東側)で東側が1段築成、西側が2段築成、後円部は直径約140m,高さ約16m(東側)で東側が3段築成、西側が4段築成となっており、前方部を南方に向け、東西方向の傾斜地(高位は東側)に直角に築造されているため左右非対称形である。主体部の埋葬施設は明らかでないが、墳丘上には後円部,前方部それぞれに方形壇が認められている。墳丘表面には葺石が認められるほか、特殊器台形土器,特殊器台形埴輪,特殊壺形埴輪および有段口縁の円筒埴輪などの初期埴輪が検出されている。
築造時期は古墳時代前期前半の3世紀後半頃と推定され、手白香皇女の生きた6世紀前半とは時代的に大きく食い違いが生じる。西殿塚古墳は古墳時代最初期の箸墓古墳に後続する大王墓の可能性が指摘されており、被葬者は卑弥呼の後継者の台与とする説や崇神天皇とする説などが挙げられている。一方、手白香皇女の真陵は、西殿塚古墳の北西に位置する西山塚古墳(築造時期:6世紀前半)とする見方が有力である。
なお、東側には東殿塚古墳が隣接している。
【史跡規模】 |
【指 定】 【国 宝】 【国重文】 |
関連時代 | 古墳時代:前期 |
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関連年号 | 3世紀後半 |
関連人物 | 系図 | 関連人物 | 系図 | 関連人物 | 系図 |
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手白香皇女 | K202 |
継体天皇 | K301 |
台与 | **** |
崇神天皇 | K101 |
西殿塚古墳と東殿塚古墳(Googleマップの航空写真)