箸墓古墳
はしはかこふん(Hashihaka-Kofun Tumulus)
【K-NR012】探訪日:1993/9.25・2022/7.2
奈良県桜井市箸中
【MAP】
〔駐車場所〕
三輪山北西山麓の扇状地帯に広がる纒向古墳群の盟主的古墳であり、出現期古墳の中でも最古級と考えられている前方後円墳である。
実際の被葬者は不明だが、宮内庁により「大市墓」として第7代・孝霊天皇皇女の倭迹迹日百襲姫命の墓に治定されている。「箸墓」の名の由来は、百襲姫の陰部に箸が突き刺さり絶命したという説話に基づく(ただ、箸が日本に伝来したのは7世紀頃とされる)。
その規模は、墳長約278m、後円部は径約150m,高さ約30mで、前方部は前面幅約130m,高さ約16mを測る。周辺地域の調査結果から、本来はもう一回り大きかった可能性もある。後円部は四段築成であるが、四段築成の上に小円丘が載ったものとの指摘もあり、五段築成とみなせば、箸墓古墳のみとなる。
埋葬施設は不明であるが、墳丘の裾から玄武岩の板石が見つかっていることから竪穴式石室が作られていた可能性がある。
墳丘形態や出土遺物から最古級の前方後円墳とされるが、築造年代については、3世紀中頃から後半、4世紀中期以降、260~280年頃、280年~290年など諸説あり推定の域を出ない。一般的には、纒向型前方後円墳といわれる墳形とは異なり、箸墓古墳は方形墳丘の部分が拡大した定型的な前方後円墳となっており、築造時期は3世紀後半以降と考えられている。
被葬者については、大正時代から倭迹迹日百襲姫命=女王卑弥呼とし、「箸墓古墳=卑弥呼の墓」とする説が展開された(邪馬台国近畿説ともなる)。しかし、現在は、築造年代がはっきりしないのに加え、埋葬方式,出土品(周濠からの土器,馬具),『魏志倭人伝』との整合性などから見て箸墓古墳が卑弥呼の墓である可能性は低い、証明しがたいとされている。
【史跡規模】 |
【指 定】国指定史跡(2017年2月9日指定:箸墓古墳周濠) 【国 宝】 【国重文】 |
関連時代 | 古墳時代:前期 |
---|---|
関連年号 | 3世紀後半 |
関連人物 | 系図 | 関連人物 | 系図 | 関連人物 | 系図 |
---|---|---|---|---|---|
倭迹迹日百襲姫命 | K001 |
箸墓古墳とホケノ山古墳〔纒向古墳群〕(Googleマップ航空写真:黄線は概略外形)
※本サイトの写真は転用可です(ダウンロードすると、より鮮明に見えます)
▲拝所を南から見る
▲
▲
▲
▲
▲
▲
▲
▲
▲
▲周濠越しに見た後円部側
▲周濠越しに見た前方部側
▲北から見る
▲北から見る
▲東から見る
▲南斜面