西山塚古墳
にしやまづかこふん(Nishiyamazuka-Kofun Tumulus)
【K-NR111】探訪日:2022/7.24
奈良県天理市萱生町1021
【MAP】
〔駐車場所〕
大和古墳群の萱生支群(萱生古墳群)を構成する古墳の1つで萱生町集落西端の傾斜面地に築造された大型前方後円墳である。規模は墳丘長114m、前方部幅70m,高さ8mの二段築成、後円部直径65m,高さ13mの三段築成で、大和古墳群では西面(前方部が西)の古墳が多数を占めているのに対し、本古墳は北面となっている。墳丘表面では葺石,埴輪が検出されている。主体部の埋葬施設は明らかでないが、1887(明治20)年の墳頂部での開墾の際には、石棺のほか勾玉,管玉,鈴,土器,人造石が出土したと伝わる。墳丘周囲には周濠が巡らされ、現在もその名残は周囲4ヶ所の溜池として見られるほか、周濠外側には外堤の遺構も認められている。
大和古墳群の大多数が前期古墳であるのに対し、西山塚古墳は、出土埴輪から古墳時代後期前半の6世紀前半頃の築造と推定されている。このことから第26代・継体天皇皇后の手白香皇女の真陵に比定する説が有力視されている。現在宮内庁により手白香皇女陵に治定されている西殿塚古墳は、考古学的には3世紀後半頃の築造と推定され、手白香皇女の想定年代(6世紀前半頃)とは大きなズレを生じる。
【史跡規模】 |
【指 定】 【国 宝】 【国重文】 |
関連時代 | 古墳時代:後期 |
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関連年号 | 6世紀前半 |
関連人物 | 系図 | 関連人物 | 系図 | 関連人物 | 系図 |
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手白香皇女 | K202 |
西山塚古墳の航空写真(Googleマップ)と測量図(現地説明板より)