峯山砦跡

みねやまとりであと (Mineyama Fort Ruins)

【C-AC509】探訪日:2022/5/8

【C-AC509】峯山砦跡 愛知県豊田市押山町西峯山

【MAP】

〔駐車場所〕登山口近くに駐車できる小スペースがある。

 

【C-AC509】峯山砦跡

   戦国時代に川手城主・山田氏によって築かれ、その武将・太田氏の砦とされる。主に狼煙場としての機能をもち、隣国美濃の情勢を川手城,押山城から九沢砦を経て武節城へと伝える重要な中継地点であった(押山城から九沢砦へは間の山に遮られ、直接狼煙が伝わらない)。砦は武節城と運命を共にしたと考えられるが(詳細は「武節城跡」参照)、最終的に徳川方の奥平信昌の支配となり、1590(天正18)年の徳川氏関東移封時、もしくは1601(慶長6)年に転封となった際に廃されたと思われる。
 明治時代には地元民の御嶽教信仰の地となっていた。
 押山(標高733m,比高100m)の山頂に築かれた約150㎡の平坦地であり、眼下に川手城(直接は見えない),押山城,矢倉平が位置し、遠くには猿投山,恵那山や木曽御嶽山を望むことができる。10月から12月の早朝にかけては、条件が揃うと、みごとな雲海が見られることでも知られている。

【史跡規模】

【指 定】
【国 宝】

【国重文】

関連時代 戦国時代
関連年号
関連人物 系図 関連人物 系図 関連人物 系図
山田氏 G*** 奥平信昌 KD13

 

【C-AC509】峯山砦跡
 押山城跡の次に訪れた(こちらが押山と呼ばれ、紛らわしいが)。押山城跡からの道案内に従い、車で奥(砦下)まで進むと所々に駐車スペースがある。ただし、道路は途中から未舗装で凸凹なので徐行で進む。登り口もいくつかあるようであるが、今回は「押山まで190m」という箇所から上った。ネットでは雲海で有名ということで相当な高さを想定したが、登り口から山頂まで6分程度で到達し、拍子抜けしてしまった。要するに車でかなりの高さまで上ったということだが。眺望は最高で、1時間ほど前に苦労して上った押山城跡がはるか眼下に見えたのには感動した。

 

【C-AC509】峯山砦跡

 

川手城,押山城~武節城間の狼煙経路

【C-AC509】峯山砦跡 ※本サイトの写真は転用可です(ダウンロードすると、より鮮明に見えます)

【C-AC509】峯山砦跡

▲ここを左折(ここから未舗装)

【C-AC509】峯山砦跡

▲登山口

【C-AC509】峯山砦跡

▲頂上まで190m

【C-AC509】峯山砦跡

【C-AC509】峯山砦跡

▲右を上る

【C-AC509】峯山砦跡

【C-AC509】峯山砦跡

▲砦跡

【C-AC509】峯山砦跡

【C-AC509】峯山砦跡

【C-AC509】峯山砦跡

【C-AC509】峯山砦跡

【C-AC509】峯山砦跡

【C-AC509】峯山砦跡

【C-AC509】峯山砦跡

【C-AC509】峯山砦跡

【C-AC509】峯山砦跡

【C-AC509】峯山砦跡

▲左に恵那市串原、右に恵那市上矢作町

【C-AC509】峯山砦跡

▲恵那市上矢作町方面

【C-AC509】峯山砦跡

▲遠方中央に駒山

【C-AC509】峯山砦跡

▲眼下手前左から川手城,押山城,矢倉平が一望

【C-AC509】峯山砦跡

▲左集落(御所貝津町植木洞)の左の山が九沢砦

【C-AC509】峯山砦跡

▲中央のうっすら見えるのが猿投山

【C-AC509】峯山砦跡

▲左遠方に恵那山