武節城跡

ぶせつじょうあと (Busetsu Castle Ruins)

【C-AC463】探訪日:2021/10/24

【C-AC463】武節城跡 愛知県豊田市武節町シロ山194

【MAP】

〔駐車場所〕道の駅「どんぐりの里いなぶ」の駐車場を利用できる。

【C-AC463】武節城跡

   築城年は定かではないが、永正年間(1504~21年)に田峯城主・菅沼定信の支城として築かれた。1556(弘治2)年には武田信玄家臣で信濃国伊那郡の下条信氏が攻め込み落城し、このときに姫が身を投げたという「姫井戸」が残されている。当時は今川方であるが、やがて徳川(織田)氏側となり、1571(元亀2)年の信玄の西上作戦で武田軍が城に迫ると菅沼定忠は戦わずして武田氏に降伏した。信玄の没後には菅沼氏は武田氏側と徳川氏側に分裂する。1575(天正3)年の長篠の戦いでは、大敗して落ち延びた武田勝頼,菅沼定忠らは田峯城への入城を拒否され、勝頼は定忠の武節城で一泊の後に信濃国へ退いた。定忠も徳川軍に攻められ、武田氏を頼って信濃国へと敗走した(「田峯城跡」を参照)。
 その後、徳川方の奥平信昌が城主となったが、1590(天正18)年の徳川氏関東移封時、もしくは1601(慶長6)年に転封となった際に廃城になったとされる。
 現在、主郭,二ノ丸,三ノ丸,今は八幡神社が立つ物見台と空堀跡が残されている。

【史跡規模】

【指 定】豊田市指定史跡(1984年3月30日指定)
【国 宝】

【国重文】

関連時代 戦国時代 安土桃山時代
関連年号 1504~21年・1556年・1571年・1575年

1590年・1601年

関連人物 系図 関連人物 系図 関連人物 系図
菅沼定信 G139 下条信氏 G435 菅沼定忠 G139
武田勝頼 G433 奥平信昌 KD13

 

【C-AC463】武節城跡
 

 

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▲道の駅からの遠景

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▲登り口

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▲登り途中からの遠景(山の裏側が城跡)

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▲登城口

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▲空堀

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▲空堀につながる竪堀

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▲右前方に蔵屋敷跡

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▲蔵屋敷跡

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▲蔵屋敷跡

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▲本丸へ

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▲もう一方の本丸入口

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▲本丸

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▲切岸

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▲本丸

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▲左奥が夏焼城ヶ山(夏山城跡)

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九沢砦跡方面(砦跡は左の木の向こうの山)

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▲本丸南西の物見台

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▲物見台に建つ城山神社

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▲二の丸跡へ

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▲上が本丸

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▲姫井戸

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