今川城跡
いまがわじょうあと (Imagawa Castle Ruins)
【C-SZ037】探訪日:2022/2/27
静岡県島田市大草767
【MAP】
〔駐車場所〕
今川居館とも大津城とも呼ばれるが、近年、大津城については南約2Kmに位置する野田城を指すとする説が有力である。
築城年は定かではないが、駿河守護職の今川範氏が駿河進出の足掛かりとして見付端城より移り築いたとされる。
三河国に興った今川氏(今川氏発祥の地)は今川国氏を継ぐ2代・今川基氏の頃には遠江守護となって、遠江国の引間城に本拠を移す。その子・今川範国は足利尊氏から駿河守護を任じられ、さらに東へと勢力を拡大していった。範国は、1352(正平7/文和元)年に遠江国見付から駿河国葉梨荘に本拠地を移し、翌1353(正平8/文和2)年に家督と守護職を譲られた子の今川範氏は今川城(今川居館)と詰城として花倉城を築いた。ただ、範氏の時代には府中・駿府までの進出は果たすことができなかった。府中に館を構えたのは1411(応永18)年の範氏の孫・範政の時代である。
今川城は範氏の菩提寺である慶寿寺及びその一帯とされ、慶寿寺境内が二の郭、その上の慶寿寺本堂裏の平場が主郭跡とされるが、遺構は確認困難である。