見付端城跡
みつけはじょうあと (Mitsuke Branch Castle Ruins)
【C-SZ066】探訪日:2021/1/6
静岡県磐田市見付2586
【MAP】
〔駐車場所〕
築城年代は定かではないが、室町時代初期に遠江守護・今川範国によって築かれたとされる。今川範国は北朝方として各地を転戦し、1333(元弘3)年に遠江国守護職を得て、1337(建武4/延元2)年には駿河国守護職にも任ぜられ勢力を拡大した。範国の嫡子・今川範氏が駿河国に今川城,花倉城を居城として駿河に入ると、範国2男の今川貞世(了俊)を祖とする遠江今川氏が入部した。遠江今川氏は見付端城と堀越城を居城としていたようであるが、今川氏親の子・氏輝が亡くなると、1537(天文6)年、2男の義元は天野虎景に命じて見附城を攻めさせこれを落としたとする記録が残っている。なお、廃城期については永禄年間とされている。
見付端城は大見寺から磐田北小学校一帯に築かれていたといい、古くは遠江国府があり遠州の中心地であった。遺構は大見寺境内の西と南にわずかに土塁が残っているのみである。
【史跡規模】 |
【指 定】 |
関連時代 | 南北朝時代 | 戦国時代 |
---|---|---|
関連年号 | 1333年・1337年 | 1537年 |
関連人物 | 系図 | 関連人物 | 系図 | 関連人物 | 系図 |
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今川範国 | G360 | 今川範氏 | G360 | 今川貞世 | G363 |
今川氏輝 | G360 | 今川義元 | G361 | 天野虎景 | F015 |
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▲見付交流センターの前にある城址碑
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▲東の今之浦川が天然の堀
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▲北側の磐田北小学校は見付城跡とされる
▲本丸跡とされる大見寺
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▲大見寺本堂
▲大見寺南側の土塁
▲大見寺南側の土塁
▲大見寺西側の土塁
▲大見寺西側の土塁
▲大見寺西側の土塁
▲大見寺西側の土塁