野田城(大津城)跡
のだじょう(おおつじょう)あと (Noda[Otsu] Castle Ruins)
【C-SZ023】探訪日:2022/2/27
静岡県島田市野田字城山
【MAP】
〔駐車場所〕
大津城とも呼ばれる。地元の「城山を学ぶ会」では大津野田城としている。
1350(正平5/観応元)年から1352(正平7/文和元)年にかけて足利尊氏と弟・足利直義が対立した観応の擾乱の頃、直義に味方した元・駿河守護代の石塔義房の家人である佐竹兵庫助,中山三郎左衛門尉らが駿府を占拠した。一時は尊氏方の駿河守護・今川範国の軍を退けたが、1351(正平6/観応2)年、範国と伊達景宗の軍勢が反撃に転じ、佐竹兵庫助,中山三郎左衛門尉らが籠った安部城を陥落させた。中賀野掃部助,入江駿河守らは久能寺城へと逃れ、佐竹兵庫助と藁科氏は大津郷(島田市)に移って野田城(大津城)を築城したとされる。しかし、翌1352(正平7/観応3)年8月、今川城の今川範氏(範国の嫡子)と伊達景宗の軍が大津城を16日以上かけて攻め続け、ついに落城させたという。
野田城は今川城の南約2Kmほどの丘陵東側の頂に築かれ、頂部が主郭とされ、東側には段状の平地が存在するが、農地に転用されている部分もあり、曲輪の遺構と判断するのはさらなる調査が必要かもしれない。