明治天皇伏見桃山陵
めいじてんのう ふしみももやまのみささぎ
(Fushimi-momoyama Mausoleum of Emperor Meiji)
【K-KT032】探訪日:2015/10/3
京都府京都市伏見区桃山町古城山
【MAP】
〔駐車場所〕
1912(明治45)年7月30日、東京の宮城・明治宮殿において宝算61で崩御した第122代・明治天皇〔在位:1867~1912年〕の陵である。同年(大正元)年9月13日に東京・青山の帝國陸軍練兵場(現在の神宮外苑)にて大喪儀が執り行なわれた後、翌14日に埋葬された。
陵の敷地の桃山は、豊臣秀吉の築いた伏見城の本丸跡地であり、京都に墓所が営まれたのは明治天皇の遺言によるものという。すぐ東には皇后である昭憲皇太后の伏見桃山東陵が隣接する。また、桓武天皇の柏原陵にもほど近い。
墳丘は古式に範を採った上円下方墳で、下段の方形壇の一辺は約60m、上段の円丘部の高さは約6.3m、表面にはさざれ石が葺かれている。方形の墓坑を掘って内壁をコンクリートで固め、その中に棺を入れた木槨を納めた。槨内の隙間には石灰を入れた上で石蓋を被せてコンクリートで固めている。上円下方墳の墳形は天智天皇陵がモデルにされたという。幕末の孝明天皇についで火葬にせず、天武天皇以前の古制に戻した。