伏見城跡

ふしみじょうあと (Fushimi Castle Ruins)

【C-KT003】探訪日:2015/10/3

【C-KT003】伏見城跡 京都府京都市伏見区桃山町大蔵45

【MAP】

〔駐車場所〕

   伏見城は三度に渡って築城される。
 1592(文禄元)年8月、豊臣秀吉が隠居後の住まいとするため伏見指月に建設を始めた(指月伏見城)。1594(文禄3)年に秀吉が入城し、更にその2年後の1596(文禄5)年に完成するが、直後の慶長伏見地震によって倒壊した。のちに、北東約1kmの木幡山に本丸を移して再築(木幡山伏見城)。秀吉は1598(慶長3)年に城内で没した。その後、関ケ原の戦いの前哨戦で焼失する。戦後、焼失した伏見城は1602(慶長7)年頃に徳川家康によって再建されたが、二条城を修築したことにより1623(元和9)年に廃城となり、天守は二条城へ移築、櫓は備後国福山城や江戸城などに移築され現存している。城跡一帯には元禄時代頃までに桃の木が植えられて桃山と呼ばれるようになり、伏見城は桃山城あるいは伏見桃山城とも呼ばれるようになった。⁠
 本丸跡などの主郭部分はのちに明治天皇の陵墓(伏見桃山陵)とされたことから現在も無許可での立入りが禁じられている。かつて伏見桃山城キャッスルランドという遊園地があり、ここに模擬天守が建てられている。この場所は得善丸の西側にあたる。遊園地自体は閉園となっているが、その跡地には現在立ち入ることができる。

【史跡規模】

【指 定】
【国 宝】

【国重文】

関連時代 安土桃山時代 江戸時代:前期
関連年号 1592年・1594年・1596年・1598年・1602年 1623年
関連人物 系図 関連人物 系図 関連人物 系図
豊臣秀吉 ZZ01 徳川家康 TG01 明治天皇 K701

 

【C-KT003】伏見城跡
 中学生の時の修学旅行(1969年)以来の訪問である。思い出の中の伏見城は白黒であったため、模擬建造物とはいえ鮮やかさには感動したものの、雑草が茂り観光客もいない現状にはわびしさを感じた。

 

【C-KT003】伏見城跡

 

【C-KT003】伏見城跡 ※本サイトの写真は転用可です(ダウンロードすると、より鮮明に見えます)

【C-KT003】伏見城跡

▲模擬大手門

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▲模擬大手門

【C-KT003】伏見城跡

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▲模擬大天守(右)と小天守

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▲模擬大天守

【C-KT003】伏見城跡

▲模擬大天守

【C-KT003】伏見城跡

▲模擬小天守

【C-KT003】伏見城跡

▲模擬小天守