桓武天皇柏原陵
かんむてんのう かしわばらのみささぎ
(Kashiwabara Mausoleum of Emperor Kanmu)
【K-KT031】探訪日:2015/10/3
京都府京都市伏見区桃山町永井久太郎
【MAP】
〔駐車場所〕
806(延暦25)年3月17日に崩御(宝算70)した桓武天皇〔在位:781~806年〕の陵である。ただ、伏見区深草大亀谷古御香町にある大亀谷陵墓参考地でも被葬候補者は桓武天皇と想定されている。在世中に宇多野への埋葬を希望したとされるが、不審な事件が相次ぎ卜占によって賀茂神社の祟りであるとする結果が出され、改めて伏見の地が選ばれ柏原陵が営まれたという。柏原陵の在所は中世の動乱期において不明となり、さらに豊臣秀吉の築いた伏見城の敷地内に入ってしまったため、深草と伏見の間とのみ知られていた。元禄年間の修陵では深草鞍ヶ谷町浄蓮華院境内の谷口古墳が考定されたが、幕末に改めて桃山町の現陵の場所に定められた。
白壁王(後の光仁天皇)の第一皇子として737(天平9)年に産まれ、父・白壁王が急遽皇位を継承することになったため親王宣下された。生母は百済系渡来人氏族の高野新笠であり、当初は皇族としてではなく官僚としての出世が望まれたが、藤原氏などを巻き込んだ政争により773(宝亀4)年に皇太子とされた。
781(天応元)年、父から譲位されて天皇に即き、長岡京および平安京への遷都を行った。治世中には、早良親王を藤原種継暗殺の廉により廃太子の上で流罪に処し、親王が抗議のための絶食で配流中に薨去するという事件が起こっている。また、践祚と日を隔てて即位した初めての天皇であり、桓武平氏の始祖となる。