夏焼城跡
なつやけじょうあと (Natsuyake Castle Ruins)
【C-AC482】探訪日:2021/12/3
愛知県豊田市夏焼町青木洞
【MAP】
〔駐車場所〕浅間ルートならば、浅間神社まで車で行ける(駐車も可)。
築城年は定かではないが、南北朝時代に標高889m,比高450mの城ヶ山に築かれた山田氏の居城とされる。山田氏は山田頼範のとき尾張国山田郷から移住してきた。この城は武節古城,武節城の詰めの城または退守の城といわれ、最後に立て籠もる城であったとされる。また、戦国時代には、武田氏の情勢を狼煙によって伝える役割を果たしていた。
山頂の平坦部が主郭であり、高低差の少ない二段の郭から成っている。南東には細長い尾根が続くが、そこには2本の堀切状の窪地が確認できる。二の曲輪は主郭の南西下段に位置し背後の斜面に土塁を築いている。また、二の曲輪から西へ下った尾根には二重の堀切がみられるが、曲輪との関連性は薄い。
なお、主郭跡は第二次世界大戦時には防空監視哨が建てられていた。
城跡(夏焼城ヶ山)へは5本のハイキングコース(いなぶ観光協会の登山マップなど参照)が設けられており、元旦登山など多くの方に親しまれている。
【史跡規模】 |
【指 定】 |
関連時代 | 南北朝時代 |
---|---|
関連年号 |
関連人物 | 系図 | 関連人物 | 系図 | 関連人物 | 系図 |
---|---|---|---|---|---|
山田頼範 | G604 |
上りは「夏焼ルート」を選んだが、途中から急な斜面を直登するルートに入ってしまい、かなりの疲労となった(元旦登山には絶対通らないだろう)。ただ、山頂(主郭)へ着くと、その見晴らしの良さに感動した。直登で変形したおにぎりを食べた後、縄張図を参考に撮影を行い、下りのルートは、なだらかそうな「浅間ルート」(駐車した場所へは20分ほど歩くことになったが)を選び下山した。途中にロープを伝う箇所はあるものの「浅間ルート」は、お薦めのルートかと思う。下記のギャラリーの写真は「浅間ルート」から登ったように編集している。
※本サイトの写真は転用可です(ダウンロードすると、より鮮明に見えます)
▲国道153号線からの浅間神社への入り口
▲浅間神社
▲浅間神社からの登城口(以下、浅間ルート)
▲山頂まで500m
▲
▲
▲山頂まで200m
▲堀切
▲
▲
▲2本目の堀切
▲
▲山頂まで100m
▲
▲主郭北側
▲主郭
▲主郭西側
▲
▲主郭東側
▲主郭東側
▲主郭西側を見る
▲主郭は二段になっている
▲
▲
▲眺望(武節谷方面)
▲
▲
▲
▲
▲
▲主郭下の二の曲輪
▲
▲二の曲輪
▲二の曲輪
▲二の曲輪
▲二の曲輪
▲
▲
▲南東の尾根
▲南東尾根の堀切状の窪地
▲
▲
▲南東尾根の堀切状の窪地
▲
▲
▲南東堀切の東側先端
▲夏焼ルート入口にある登山ルート案内板
▲夏焼ルートの入口
▲夏焼ルート
▲夏焼ルートの険しい勾配
武節城本丸からの夏焼城跡遠景(左奥が夏焼城ヶ山)
▲武節古城跡下からの夏焼城跡遠景
▲