武節古城跡
ぶせつこじょうあと (Busetsu Old Castle Ruins)
【C-AC462】探訪日:2021/10/24
愛知県豊田市桑原町上鎌井177-4
【MAP】
〔駐車場所〕登城口まで行けるが、道の駅「どんぐりの里いなぶ」に駐車をお薦め。
築城年は定かではないが、1334(建武元)年頃、名倉村清水城主で足助荘代官の名倉(菜倉)左近蔵人が武節古城を政所として政務を行ったとされる。名倉氏(新田氏)が遠江国気賀へ退くと、尾張国山田郷からの川手村へ移住した山田頼範が、川手城と共に山田氏代々の居城としたという(説明板には城主は川手法安入道主税助とある)。
やがて山田氏は、この地に勢力を伸ばし永正年間(1504~21年)に武節城を築いた田峯菅沼氏の菅沼定信に従属したと考えられる。
城跡には土塁とその南側に南北約40m,東西約30mの主郭があり、その西側に帯曲輪が確認できる。また、土塁の北側は堀切(約15mあったという)であったが、現在は埋められており西側に一部竪堀が落ちている。
【史跡規模】 |
【指 定】豊田市指定史跡(1984年3月30日指定) |
関連時代 |
南北朝時代 |
戦国時代 |
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関連年号 | 1334年 | 1504~21年 |
関連人物 | 系図 | 関連人物 | 系図 | 関連人物 | 系図 |
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名倉左近蔵人 | **** | 山田頼範 | G604 | 菅沼定信 | G139 |
最初、名倉川沿いの山裾(最後の写真)から入山し上り詰めたが城跡がわからずいたところ、ふと民家とアスファルト道路が目に入った。道を少し下ると、道路沿いに城跡入口の案内板を発見。またルート(登り口)をミスったと反省しつつ、斜面の細い道を進むと、土塁とその上にしっかりした説明板を見つけることができた。下山はそのまま道路を下ると稲武こども園のところに出る。こども園のところに城跡案内板があると、なおうれしい。
※本サイトの写真は転用可です(ダウンロードすると、より鮮明に見えます)
▲稲武こども園の北の道を右に入る
▲登城口
▲主郭の土塁上に説明板がある
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▲土塁上
▲土塁上から見た主郭と右の帯曲輪
▲土塁
▲主郭
▲主郭
▲主郭
▲主郭
▲土塁
▲主郭西側
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▲帯曲輪
▲土塁上から北側を見る
▲堀切跡(埋められた?)
▲右は竪堀となる
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▲今回の登り口(推奨せず)