清水城跡
しみずじょうあと (Shimizu Castle Ruins)
【C-AC483】探訪日:2021/12/3
愛知県北設楽郡設楽町西納庫字城の腰
【MAP】
〔駐車場所〕
築城年は定かではないが、南北朝時代に足助荘名倉郷と呼ばれた頃の足助氏の代官であった菜倉(名倉)左近蔵人の居城とされる。ほかに城主として名倉喜八郎,新田孫八,新田右衛門佐の名がある。1334(建武元)年頃には菜倉左近蔵人は武節古城を政所として近隣28ヶ村を支配していたとされる。2代の右衛門佐伊武は後継ぎがなく新田氏から孫六兼氏を迎えて一時期は新田氏を称したという。菜倉氏は南朝方として活躍していたが、南朝勢力が衰えると遠江国気賀へ退去したと伝わる。
代わって勢力を伸ばしてきた作手奥平氏が納庫地区に進出し名倉奥平を名乗り、この地を支配した。清水城も名倉奥平氏の手が加わっていると考えられる。なお、名倉奥平氏は徳川氏の信任が厚く、後に尾張徳川家の家老となっている。
城は主郭とその西下の二の曲輪から成り、南に大手口,北に搦手口をもち、東側に帯曲輪を巡らせている。また、所々に竪堀を配し防御性を高めている。
【史跡規模】 |
【指 定】設楽町指定史跡(1968年2月1日指定) 【国 宝】 【国重文】 |
関連時代 | 南北朝時代 |
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関連年号 | 1334年 |
関連人物 | 系図 | 関連人物 | 系図 | 関連人物 | 系図 |
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菜倉左近蔵人 | G*** | 名倉喜八郎 | G*** | 新田兼氏 | G*** |
新田伊武 | G*** | 名倉奥平氏 | KD13 |
清水城縄張図(現地説明板に加筆)