富永忠元墓所〔大通院〕
とみながただもと ぼしょ〔だいつういん〕(Grave of Tadamoto Tominaga[in Daitsu-in])
【K-AC184】探訪日:2021/11/19
愛知県西尾市吉良町寺嶋御手洗38-1
【MAP】
〔駐車場所〕
1561(永禄4)年、藤波畷の戦いで討死した東条吉良家の家老・富永忠元(伴五郎)の墓所である。死地(富永忠元一族討死の地)から400mほど西の大通院にある。
桶狭間の戦い後に今川氏から独立した松平元康(のちの徳川家康)は三河統一過程において東条城の吉良義昭と敵対する。しかし、松平好景一族が善明堤の戦いで討死するなど敗戦が続いた。
同年9月13日、本多広孝,松井忠次は小牧砦,友国砦より出軍して東条城を目指し藤波畷に進んだ。本多広孝が先鋒で先駆けし、松井忠次の弟・松井光次が後詰めで進撃した。松平軍の出撃を知った吉良家の家老・富永忠元はいつもの如く先駆けしたが、単騎で突出して孤立し松平軍に藤波畷で追い詰められてしまう。そして、本多広孝の槍の前に突き伏せられ、広孝の家来・本多甚十郎によって討取られた。頼みとした富永忠元を失った吉良義昭は戦意を失い、東条城を明け渡し降伏した。