景行天皇纏向日代宮伝承地
けいこうてんのう まきむくのひしろのみや でんしょうち
(Makimuku-hishiro Palace Traditional Ruins of Emperor Keiko)
【P-NR010】探訪日:1993/9/25・2017/9/3・2022/7/2
奈良県桜井市穴師475
【MAP】
〔駐車場所〕
第12代・景行天皇が即位後に営んだ宮跡と伝承されている。ここで大和王権による全国統一がすすめられ、記紀によれば、その立役者は景行天皇と皇后・播磨稲日太郎姫との間に生まれた小碓尊(倭建命,日本武尊)である。
景行天皇は、父帝・垂仁天皇が崩御した翌年の7月に即位し、即位2年に播磨稲日大郎姫を立后。子には大碓皇子や小碓尊がいた。即位4年、美濃国に行幸し、美人と名高い弟姫を妃にしようと泳宮に滞在した。即位12年、熊襲征伐すべく8月に天皇自ら西下したという。即位27年8月、熊襲が再叛し、ここから日本武尊の西征,東征が始まる。日本武尊が伊勢国能褒野にて30歳で崩御すると、天皇はその死を深く嘆き悲しみ、即位53年、日本武尊を追慕して東国巡幸に出る(翌年9月に纒向宮に帰る)。即位58年には近江国に行幸し志賀高穴穂宮(『古事記』では成務天皇の宮)に3年滞在し、即位60年11月、崩御した。享年は106歳(『古事記』では137歳)。成務天皇2年11月に山邊道上陵「渋谷向山古墳」に葬られた。
500mほど西には垂仁天皇の纏向珠城宮跡の石碑が建つ。