泳宮古跡
くくりのみやこせき(Kukurinomiya Ruins)
【P-GF001】探訪日:2019/9.30
岐阜県可児市久々利1675
【MAP】
〔駐車場所〕
『日本書紀』の「景行天皇四年春二月甲子條」によれば、景行天皇は美濃に行幸し泳宮に滞在した。ここで、八坂入彦命の娘で美人と名高い弟姫を見初め、妃にしようと池を造り鯉を放って弟姫を呼び寄せた。しかし、景行天皇の思いはかなわず、弟姫は自分より美しく気立ての良い姉の八坂入媛がふさわしいと、姉に后の座を譲った。やがて、景行天皇は八坂入媛命を伴い纏向日代宮へと帰り、八坂入媛命は皇后として成務天皇はじめ七男と六女を産んだという。
一方、久々利に残った弟姫は、昼間は引き篭もり、日が暮れると髪を振り乱して月を見ながら泣いていたり、山の中で取り乱したりという姿を何人かの村人に目撃されるようになり、ついには大蛇に連れ去られたという言い伝えが残る。
泳宮の史跡は古くから言い伝えられてきたようであるが、国学に明るかった久々利の千村仲雄が、1819(文政2)年に『美濃国泳宮考』を著して以降、広く知られるようになり、1869(明治2)年には千村氏家臣の櫛田道古が『美濃国泳宮略記』を著している。