阿弥陀ヶ峰城跡
あみだがみねじょうあと (Amidagamine Castle Ruins)
【C-AC447】探訪日:2021/9/23
愛知県瀬戸市品野町2丁目40
【MAP】
〔駐車場所〕全宝寺の参詣者用駐車場がある。
1482(文明14)年、応仁の乱の余波として細川方の桑下城主・長江利景と山名方の今村城主・松原広長とが対峙した。利景は品野勢の首将として阿弥陀ヶ峰に城砦を構えると、赤津城,本地城,今村城などの兵力からなる今村勢は広長を総大将として勢呼山から安戸坂を登って陣を敷き、阿弥陀ヶ峰城の西の大槇山で合戦となった。激戦の末、今村勢は追い落とされ、広長も戦死する(殿死洞)。その首を祀る松原塚が万徳寺に残されている。
また、1558(永禄元)年に織田信長が品野城攻めを行ったときには、家臣の竹村長方がこの砦跡を利用した。さらに、1615(元和元)年5月、大坂夏の陣で戦傷を負った三河国岩倉城主・戸田直矣の子の直昌は当地へ移り住んだと云う。
現在は全宝寺となり、遺構は残されていない。