岩倉城ノ峠城跡
いわくらしろのとうげじょうあと (Iwakura Shironotoge Castle Ruins)
【C-AC166】探訪日:2017/5/3
愛知県豊田市岩倉町西脇57
【MAP】
〔駐車場所〕
築城年代は定かではないが、1469(文明元)年頃、戸田弾正左衛門宗光が上野上村城を築いて後、岩倉村に進出して築いたとされる。城主には戸田又次,岩倉隼人助,天野藤右衛門の名が挙げられるが、詳細は不明である(岩倉城ノ浦城主と混同)。1480(文明12)年には宗光は田原城を築いて移っている。
戸田宗光の子孫で武州那賀郡の秋山城主となっていた戸田又兵衛直秀の子・又兵衛直矣は知行800石で旧領地の岩倉城主に復した。しかし、1615(元和元)年5月7日、大坂夏の陣に松平忠直の軍に属し大坂城内で戦死した(戸田又兵衛直矣墓所)。嫡子の直昌も城内で戦傷を負い歩行困難となったが、家臣の柴田重行に助けられ、石原勘三郎らとともに岩倉城へ帰着したという。
城は顕正寺の北方辺りの標高80m,比高10mの地とされ、嘗ては「城の峠」と呼ばれていたという。現在は東名高速道路建設の採土によって原型を失い、ゲートボール場,山林,畑地,住宅となり、遺構は残されていない。