勝楽寺

しょうらくじ (Shoraku-ji Temple)

【T-AC049】探訪日:2019/3/16

【T-AC049】勝楽寺 愛知県新城市川路夜燈20 <📲:0536-22-0753>

【MAP】

〔駐車場所〕

【T-AC049】勝楽寺

   創建年代は定かではないが、室町時代に遵慶律師により真言宗の一宇として開創された。1470(文明2)年には、川路城主の設楽兵庫頭が玄済和尚を講じて中興を図り、設楽氏の菩提寺となった。
 1532(天文元)年、三世・玄賀和尚は山吉田の領主・鈴木長門守重勝に招請され、青龍山満光寺を開くとともに慈雲寺,慈眼寺,龍泉寺,常林寺など多くの末寺を指導したとされる。さらに、1568(永禄11)年には、野田城,山吉田城,井伊谷城,二俣城の各城を徳川家康の麾下に入るよう説得し、家康の遠州進出を助けている。
 1575(天正3)年5月21日の長篠設楽原の戦いでは、寺の南方の設楽原最南端は馬防柵が無く、武田軍の山県昌景隊と大久保忠世,忠佐兄弟の徳川軍が激突した決戦の口火となった激戦地である(勝楽寺前激戦地)。戦いの翌日には織田信長,徳川家康らが立ち寄り、戦勝の祝杯をあげたのに因んで、もともと「松楽寺」という寺名を「勝楽寺」に改められたという。この年、死者の霊を弔う大施餓鬼が行われ、現在の「火おんどり」のルーツとされる。
 また、入口には設楽家の出で幕末の外交官として列強との折衝に尽力し、水野忠徳,小栗忠順と共に「幕末三俊」とされる岩瀬忠震の顕彰碑がある。

【指 定】
【国 宝】

【国重文】

関連時代 室町時代 戦国時代
関連年号 1470年 1532年・1568年・1575年
関連人物 系図 関連人物 系図 関連人物 系図
遵慶律師 **** 設楽兵庫頭 SR** 玄済和尚 ****
玄賀和尚 **** 鈴木重勝 SZ** 織田信長 OD04
徳川家康 TG01 岩瀬忠震 ****

 

【T-AC049】勝楽寺
  

 

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▲【「東三河を歩こう」より転載】岩瀬忠震顕彰碑