簗田広正墓所〔聖應寺〕
やなだ ひろまさ ぼしょ〔しょうおうじ〕 (Grave of Hiromasa Yanada[in Shoo-ji Temple])
【K-AC158】探訪日:2021/4/19
愛知県豊明市沓掛町森元17
【MAP】
〔駐車場所〕
没年は定かではないが、1579(天正7)年の説がある。沓掛城近くの聖應寺に葬られた。
もとは尾張国の人で春日井郡九之坪城主であり、1559(永禄2)年に領内に十所神社を建立した記録が残っている。また、同年、沓掛城の西の二村山にある本郷山聖禅寺を久護山慶昌寺へと改号している。織田信長に仕えていたが、翌年の桶狭間の戦いの情報収集活動を開始したとも考えられる。
なお、名前が政綱,四郎左衛門,正次,別喜(戸次)右近と幾通りかあり同一人物なのか、また親子関係もはっきりしていない(ここでは広正とする)。
簗田広正は桶狭間の戦いにおいて、信長の奇襲作戦に同意し情報収集活動を積極的に行って今川軍の動きを信長に進言するなど、戦いにおけるいちばんの功労者と認められ、戦後に沓掛城を与えられた。1568(永禄11)年には広正とその縁者である平野長安が慶昌寺を曹洞宗に改宗し、長安の母の法号・聖應を取って平野山聖應寺という現在の寺号にした。