沓掛城跡

くつかけじょうあと (Kutsukake Castle Ruins)

【C-AC067】探訪日:2006/5/20・2020/6/29・2021/3/11

【C-AC067】沓掛城跡 愛知県豊明市沓掛町東本郷

  【MAP】

〔駐車場所〕

【C-AC067】沓掛城跡

   この地は鎌倉時代から南北朝時代にかけて近藤宗光なる者が勢力をもっていた。築城年代は定かではないが、応永年間(1394~1428年)に城が築かれ、築城者は藤原義行との説もある。室町時代以降は、近藤氏が沓掛城主となっていたことは確かである。
 戦国時代に入り、9代目の近藤景春は松平広忠の家臣となり、1541(天文10)年頃からは尾張国中に勢力を伸ばしてきた織田信秀に追従した。しかし、1552(天文21)年の信秀死後は、鳴海城主の山口教継,教吉父子、戸部城主の戸部政直とともに今川義元へと寝返った(山口父子と戸部政直は信長の策略で今川義元により切腹させられた)。
 1560(永禄3)年、約2万5千の大軍を率いた今川義元は、5月18日に池鯉鮒を出立して沓掛城に入り、ここで軍評定を行ったとされる。翌19日朝、義元本隊約4,000は沓掛城を出発して桶狭間に入った。21日、沓掛城は織田勢の城攻めにより落城、城主・近藤景春は討死した。戦後、桶狭間の戦いで勲功一番と称された簗田出羽守政綱が城主となったが、1575(天正3)年に加賀天神山城主となって去り、その後は織田信照,川口宗勝が城主を務めた。
 1600(慶長5)年、関ヶ原の戦いにおいて川口宗勝は西軍に参陣、敗戦後に捕らえられて伊達政宗にお預けとなり、城は収公され廃城となった。
 城跡には本丸址,諏訪曲輪,土塁,内堀などが残り、現在は公園化されて春には桜の名所となっている。

 

【史跡規模】

【指 定】豊明市指定史跡(2017年4月1日指定)
【国 宝】
【国重文】

関連時代 室町時代 戦国時代 安土桃山時代
関連年号 1394~1428年 1552年・1560年・1575年 1600年
関連人物 系図 関連人物 系図 関連人物 系図
近藤宗光 F*** 藤原義行 F*** 近藤景春 F***
松平広忠 MT01 織田信秀 OD03 今川義元 G361
簗田政綱 **** 織田信照 OD03 川口宗勝 ****

 

 

 

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▲城跡北にある説明板

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▲南側

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▲大手門跡

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▲大手門左(西側)

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▲大手門左(東側)

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▲南西の空堀跡

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▲南東

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▲二の丸跡

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▲二の丸跡から本丸側を見る

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▲南から見た本丸跡

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▲東から見た本丸跡(後方は諏訪曲輪)

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▲北東から見た本丸跡

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▲北から見た本丸跡

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▲西から本丸跡南側を見る

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▲井戸跡

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▲井戸跡

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▲東側の堀跡へ降りる

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▲堀跡(東側)

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▲堀跡(北東隅)

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▲堀跡(北側)

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▲堀跡(北側)

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▲堀跡(西側)

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▲堀跡(西側)と諏訪曲輪への橋

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▲本丸跡と侍屋敷(駐車場)に架かる橋

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▲堀跡(北西隅)

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▲諏訪曲輪への橋

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▲諏訪曲輪虎口

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▲諏訪曲輪

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▲諏訪曲輪

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▲侍屋敷跡

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▲侍屋敷跡

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▲侍屋敷跡(左は諏訪曲輪)

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▲諏訪曲輪の西側

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▲旧案内板(2006年当寺)