MT01:松平親氏 | 松平親氏 ― 松平利長 | MT36:松平利長 |
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松平利長 | 松平信一 |
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三河国碧海藤井を領し、藤井城を築城して自らの居城とし藤井松平家を興した。
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早くから徳川家康に仕え、永禄元年(1558年)の尾張国の北東部に在った品野城への夜襲戦に加わる。ここで織田方の竹村,磯田,戸崎,滝山などの将士を含む50余名を討ち取り、三河・尾張両国にその名を轟かせた。永禄6年(1563年)の三河一向一揆鎮圧戦でも活躍。このときの働きを家康から激賞されている。永禄11年(1568年)からは織田信長の援軍の将として派遣され、9月12日の観音寺城の戦いに代表される対六角氏戦で、箕作城攻めにて本丸一番乗りを果たす戦功を挙げ、信長からも激賞された。 |
松平信吉 | |
実父は桜井松平家の当主ではあるが、その実兄である先代・忠正が没し、その遺児松平家広(生母は信吉と同じ多劫姫であるため、異父兄にもあたる)が成人するまでの中継ぎであり、その父も天正10年(1582年)には死亡している。更に母もその後、保科正直と再婚しているため、不遇な少年時代を過ごした。ところが、同じ松平氏一族の藤井松平家の松平信一が子供に恵まれなかったために、主君・徳川家康の甥にあたる信吉が養子に迎えられることになった。 |